日本三大名城

どの城を三名城に選ぶかは時代や定義により諸説があると言われています。
戦国時代までの中世の城郭、江戸時代以降の近世城郭という時代背景や規模で選ぶのか、または築城者で選ぶのか、国宝などの文化財基準なのかで説が分かれているそう。
さらに、将軍の徳川家の居城だった江戸城は別格とされているため名城として数えられることはないのだとか。
一般的には、歴史的に見て江戸時代後期に流行した名城の番附(番付)や名数書などによる大坂城、名古屋城、熊本城が日本三大名城として知られているようです。
近年では世界遺産に登録されてた“姫路城”が入る説もありますが、ここでは上記の大坂城、名古屋城、熊本城をご紹介します。

大坂城(大阪府)

大阪城

もともとこの地には一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺がありましたが、1580(天正8)年の織田信長との石山合戦により堂宇を消失。その後、安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂城を築きました。現在はそのほとんどが埋没しており、地表に見ることができる城は、1620年~1629年にかけて徳川秀忠が実質的な新築に相当する修築を施した大坂城(徳川大坂城)の遺構となります。
江戸時代初期から後期にかけて建てられた櫓や門、蔵など建物13棟および内堀と外堀が現存しています。現在の天守閣は1931年に市民の寄付で再建された鉄筋コンクリート造。
別名「錦城・金城」「太閤はんのお城」とも呼ばれており、大阪城跡は710,000㎡が国の特別史跡に指定されているほか、名古屋城・熊本城兎と並び日本三名城、日本100名城、日本の歴史公園100選びなどにも数えられています。

名古屋城(愛知県)

名古屋城

1521年〜1528年、尾張へ侵攻した駿河守護・今川氏親(今川義元の父)が建てた城が名古屋城の起源とされています。現在の名古屋城・二の丸一帯に本丸があったそうです。後に、織田信秀(織田信長の父)が今川氏豊から奪取し、那古野城(なごやじょう)と改名。1555年、信長が清洲城に本拠を移すまでこの地で過ごしたと言われています。
1610年、徳川家康が天下普請によって新たな名古屋城を築城し、明治維新まで徳川御三家の一つ尾張 徳川家17代の居城となっていました。
金の鯱(しゃちほこ)で知られる大天守閣や、本丸御殿が戦火で焼失してしまいましたが、表二之門、深井丸西北隅櫓、本丸東南隅櫓、本丸西南隅櫓は現存し、国の重要文化財になっています。現在の大天守閣は、名古屋市制70周年記念事業として1959年に再建されたもの。
別名「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」とも呼ばれ、大阪城・熊本城と並び日本三名城に数えられています。

熊本城(熊本県)

熊本城

1607年、肥後半国の領主・加藤清正によって6年の歳月をかけて完成させた豪壮雄大な熊本城。東高西低の茶臼山の自然地形を最大限に生かし、山全体を要塞化した堅固な平山城となっています。戦を想定した様々な防衛機能を備えているのが特徴で、敵の侵入を防ぐために大きく反り返った急勾配の石垣は「武者返し」「忍び返し」と称されています。籠城可能な設備や地下通路を備えているほか、籠城時の食料にするために城内に銀杏の木を植樹。実際に明治時代前期に勃発した西南戦争で、天守などは消失したものの、薩摩軍の攻勢に50日超の間籠城し耐え抜きました。まさに難攻不落の城!
現在の大小天守は1960年に復元されたもの。
別名を「銀杏城」と呼ばれ、現存する宇土櫓などの櫓・城門・塀の13棟が国の重要文化財に指定、熊本城跡は国の特別史跡に指定されています。大阪城・名古屋城と並び日本三名城に数えられているほか、日本100名城にも選定。
2016年の熊本地震による被害は甚大で、2052年完全復旧を目指し現在も復旧作業が進められています。

関連記事

TOP